空が高すぎる

足元も大事だけど 空を見上げることも大事にしたい
今だからこそ
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| 2016.11.14 Monday () | - | - | - |
休日 『空気人形』を観る

 天気がもうちょっとよければ言うことなかったんだけど・・・。 

 学会があったり、いろいろで
 きょうは2週間ぶりくらいの休日でした。
 午前中、行きつけの美容室に行き、
 いつものようにリラックスタイムを過ごさせていただきました。
 6月くらいから、長くしていた染髪(硬いね、表現が・・)をやめて
 最近の髪はずいぶん「地毛」になってきたのだけど、
 改めて白髪が多いことを再確認。
 ま、いいタイミングで染めるのをやめたかな、と安心。
 いきなり真っ白!なんてことになりかねないしね。

 さて、髪を切ってさっぱりした後、
 西宮OSで映画を観る。
 前売りを買ってまで期待していた『空気人形』。
 あたりでした。

 きょうのもネバばれありです・・・。


 『空気人形』

 是枝監督の最新作は
 男性の欲望を満たすために生まれた「空気人形」が
 人の心を持ったらどうなるか、というファンタジー。
 だけどその実、
 人間性やそれをとりまく社会のあり方を鋭く風刺した
 骨太な映画だと感じます。
 主人公の「空気人形」をペ・ドゥナが好演。
 是枝監督は彼女の演技に惚れ込んだとあちらこちらで語っているそうだけど
 それも納得の出来栄え。
 この映画の持つ独特の雰囲気は
 彼女の透明な存在感がなければ
 おそらく出せなかったに違いありません。

 この映画のテーマはおそらく「人間」なのだと思います。
 人間性を描くために心を持った「人形」を登場させるというアイディア自体は
 それほど新しいものだとは思わないけど
 (タイプは違うし、あちらは「ロボット」だけど、古くはアトムがその例)
 そこで描かれる世界がとにかく切なく、悲しい
 現代日本社会を写し取っていて、
 それゆえに見る者の心を揺さぶってきます。
 この映画を観る女性は、
 「自分は代用品」と繰り返し口にする
 ペ・ドゥナに自分自身を重ねるかもしれないし、
 男性は、心を持った彼女に
 「元の(心を持たない)ただの人形に戻ってくれないかな」
 といった板尾に自分を見るかもしれません。
 そういった意味で
 このブログでも以前とりあげた『ワンダフルライフ』と同様に
 映画を観るものすべてに対して
 等身大のメッセージを投げかけてくる傑作です。

 ただかの映画と決定的に異なるのは、
 この映画が強調しているのは
 楽観的な「人間賛歌」の側面よりも
 より悲しい、切ない、さみしい、ずるい、といった
 人の持つ否定的な部分だと思えます。

 ペ・ドゥナをまさに「人形」であるがゆえに「愛していた」板尾自身は、
 この映画において人の「負」の側面を示す象徴的な人物です。
 他者の性欲を満たすための「人形」としての側面を突き付けてくるのは、
 彼や、途中、弱みを握ってペ・ドゥナを「レイプ」する
 ビデオ屋の店主が表現している部分です。
 彼らはペ・ドゥナがくりかえす「代用品としての私」の側面を
 辛辣な形で突きつける人物です。

 一方、ペ・ドゥナが思いを寄せるARATAや
 途中で心を通わせるおじいさんは
 彼女が担うもう一つの側面
 「内面の空虚さ」を共有していて、
 それを互いに満たしあう相手として登場します。
 劇中、ARATAがペ・ドゥナのおへそから
 「空気」を吹き込むシーンに特に象徴的ですが、
 このシーンは明らかにセックスの対称として描かれています。
 それゆえこのシーン自体、とてもエロティックで、美しいのです。
 (もちろん「神の息」の象徴的表現でもあるでしょう)
 さらにおじさんとの間で交わされた「触れる」という行為は
 さらに本源的な水準で、
 人と人とのつながりとして描かれているのだと思います。

 しかし、前者である板尾や店長が「悪い人」で
 ARATAやおじいさんが「いい人」というように
 単純な二元論で人を分けるようには私には見えませんでした。
 たとえば板尾氏は
 彼自身、実はとてもさみしい、ある意味でかわいそうな人物で
 仕事先でけっしてうまくふるまうことができずに、
 「お前の代わりなんていくらでもいるんだ」と言われるような人でもあります。
 そして彼がペ・ドゥナに名付けた「のぞみ」という名の女性と
 おそらくはつらい別れをしていたことが明かされます。

 つまりそこで描かれているのは
 「人を人形のように扱う」人が
 実はより強いものから「人として扱われていない」という事実でもあります。
 その意味で、ペ・ドゥナへのアプローチの仕方は異なっていても
 両者には連続性があり、それが悲しさを際立たせるのです。
 そして実は映画の脇を固める多くの人々も
 みな同じように「代用品」としての自分を懸命に生きているように見えます。
 そのせいでしょうか、
 時折見せるペ・ドゥナの振る舞いが
 人が本来なら持っていそうな純粋な好奇心や優しさに満ちていて
 そこでは「人形」のほうが人間らしいという倒錯が見えるのです。
 そして映画は問いかけます。
 現代の日本を生きている私たち自身は
 はたして本当に「人間」なんだろうか、
 もしかしたら「人形」なんではないのか、と。
 彼女が「人形」であることに気付いた人が
 そろって彼女を「人間」のようにすんなり扱っているという描写が
 なお一層そのことを伝えてくるのです。

 そしてそんな世界のなかで
 ペ・ドゥナは次第に疲れていきます。
 そして「心を持つことは切ない」と漏らすのですね。
 ただ、彼女は同時に
 それでもこの世界に望みを見ようとしました。
 人形師であるオダギリ・ジョーの問いかけへの答えや
 悲劇的な結末となってはしまいましたが
 ARATAと過ごした最後の時間が描いたのは
 それでも人が人としてしか生きられないことの悲しさでもあり
 ある意味での美しさなのかもしれません。

 映画の最後、
 人形であり、用済みとなった彼女は
 「もえないごみ」として自らをゴミ捨て場に横たえます。
 それを部屋から見下ろして「きれい」とつぶやいたのは
 星野真理演じた摂食障害の女性。
 彼女が住むのは「ゴミ箱」同然の部屋。
 ここにも「人形」と「人間」との連続性が痛烈に示されている
 と私には思えたのでした。

 もうひとつ、とても印象に残ったシーンを。
 思いを寄せるARATAとのレストランでのデートで
 ペ・ドゥナはお誕生日を祝ってもらっている少女と出会います。
 人形であるがゆえに、何も知らない彼女は
 その意味を彼に聞き、
 「その人」の誕生を祝う「ハッピーバースデイ トゥ ユー」の歌を
 とても素敵な笑顔で聞きます。
 
 ラストシーンの少し前、
 ゴミ捨て場に横たわる彼女が最後に思い浮かべたのは、
 短い間ではあったけど、この世界で彼女と関わりをもった人が
 彼女の「誕生日」を祝ってくれるシーンでした。
 彼らが歌った「ハッピーバースデー トゥ ユー」では
 しかし彼女の名前が呼ばれることはありませんでした。
 (それがこのBlogで主要な登場人物を
  役者さんのお名前で書いた理由でもあります)
 それでも「自分」を見てくれて、
 その誕生を心から祝ってくれる瞬間を
 ペ・ドゥナは実に魅力的な表情で過ごすのですが、
 そのシーンがとても悲しく、美しいのです。
 そしてその幸せをこの世界の最後の思い出として
 おそらく彼女は「心」を無くしたのだと思います。
 それは彼女にとって、ではなく、
 映画を観る私たちにとってのせめてもの救いなのでしょう。






| 2009.10.07 Wednesday (18:39) | 映画を観ました | comments(1) | trackbacks(1) |
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| 2016.11.14 Monday (18:39) | - | - | - |
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「空気人形」の名場面、渋谷の女性客は どんな感想を抱いたでしょうか?
.咼法璽訐修離瀬奪船錺ぅ奸Δ里召漾覆據Ε疋ゥ福砲、ご主人様・秀雄(板尾創路)との行為の後、人工女性器を水洗いする場面。浴槽で自らの身体を洗う場面も、有りました。
「愛の無いセックス」に悩む女の哀しさが痛切に表現されていました。
と同時に、男の性の虚しさも。

△里召澆、ご主人様の道具(ダッチワイフ用の空気ポンプ)を捨てる場面。恋人・純一
(ARATA)との「愛有るセックス」に目覚めた彼女の乙女心が伝わりました。
彼女(空気人形)の身体から空気を抜き、純一が自ら息を吹き込み、再び彼女の身体を膨らます行為のエロティックさ。

7覿鼻⊇祕譴録潅罎料蠎蠅砲里召澆鯀んだのでしょうか。人間・純一の身体から流れ出たのは空気ではなく、鮮血だったこと。血まみれになりながら、のぞみが息を吹き込んでも、純一は蘇生しませんでした。そして、純一に教えられた通り、彼の遺体を「不燃ゴミ」扱で町内の集積所へ拠出したのぞみの悲哀と皮肉。

て筏鈩型諭Ψ桧譟聞盒蕎嗣蕁砲箸里召澆粒櫃厩腓い癲△靴澆犬澆箸靴織罅璽皀△有りました。
風邪で熱っぽいから額を「触ってくれ」と頼んでいるのに、ビニール製風俗嬢・のぞみが反射的に気を利かし、敬一の股間を手でまさぐる場面とか。

ゥ薀好函心を持ってしまった空気人形にとって、「死」の定義とは?
ご主人様に飽きられて捨てられた時が、「死」を意味するのか。それとも、人形自身が人間の「心」を再び手放した時? 私には後者に思えて仕方がありません。
恋人・純一に先立たれ、空虚な人間社会で「見るべきものは、全て見てしまった」達成感と虚無感。自らを「不燃ゴミ」として集積所に横たえた「のぞみ」は、内心微笑んでいたのでは?
そうでないと哀し過ぎます。


| ペ・ドゥナ親衛隊 | 2009/10/07 10:44 PM |
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『空気人形』(是枝裕和監督/09年)
空虚でも切なくても生きていくことが人生 心を持ったダッチワイフと人間たちの悲喜劇  まず最初に、この映画は何よりも主演でタイトル...
| たいようの映画の感想 | 2009/10/13 6:57 PM |
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